・2009年度・更新されました

  ・会長インタビュー
  ・同窓会会則

  

箱根の大舞台で快走!!
農二駅伝と箱根路をつなぐ
先駆者として活躍

神宮 直仁(3期生)
(有)宮弥不動産販売 代表取締役
富岡市体育協会理事・体育指導委員

 3年生の時、国体予選で当時“無敵”と言われた桐生工業の中村選手を破って話題となった。しかし国体出場は叶わなかった。そのことが引っかかってしばらく陸上と距離を置いた。その間に観戦した日本選手権。当時、陸上界の花形だった澤木啓祐さんの走る姿を見て、「やっぱり陸上をやりたい」という思いを強くしたそうだ。
 その年の東日本縦断駅伝(通称、青森東京駅伝)に、群馬県チームの一員として選ばれた。現役高校生がメンバーに選ばれることは稀だった。
 卒業後は、東洋大学に進んだ。3、4年生で箱根駅伝10区に出場した。3年生では区間4位、4年生の時には自己記録を大きく塗り替えて区間2位という好成績を収めた。ちなみに、東洋大学の歴代箱根ランナーの出身校を見ると、農二が13人と最多。次は桐生工業の5人。その先鞭をつけたのがまさに神宮さんなのである。今年の優勝について、「優勝候補に上がっていたが、不祥事などがあった中でよく優勝できた」と喜ぶ。
 社会人となってからは、ぐんま100キロ駅伝の甘楽富岡チーム監督などを経て、現在は、富岡市体育協会で地域のスポーツ振興に関わっている。平成20年11月には、体育指導委員30年勤続として全国体育指導委員連合会から表彰された。


トライアスロンは
自分自身への挑戦
過酷であるほど面白い

横田 衛(16期生)
群馬トヨタ自動車(株) 代表取締役社長

 理科教師をしていた祖父の影響で幼い頃から鳥や魚、昆虫など動植物が好きで、ボーイスカウトをやっていた友人から野営の技術を教わるのも楽しかった。小学生の時には、スキーヤーの三浦雄一郎氏との縁でアラスカの大自然に触れた。
 農二では山岳部に入り、山登りに明け暮れた。大学は水産学部に進学。「この世界で食う!」と夢を抱き、卒業後は三浦氏のもとに身を置きながら、一緒にアラスカなどを旅した。
 家業に戻ってから、アウトドア熱は冷めるどころか、自転車競技など更にフィールドを広げている。トレーニングの成果を客観的に知りたいという欲求から、自転車レースやマラソン、トライアスロンなどへの意欲が高まっていった。
 今では、フルマラソンでは4時間を切り、トライアスロンは「石垣島トライアスロン」をはじめ、年間3大会に出場するほど本格的だ。ショートと呼ばれる総距離51.5キロ(スイム1.5キロ、バイク40キロ、ラン10キロ)のレースが主だが、50歳までにはロングと呼ばれる総距離200キロクラスのレースに出場したいとトレーニングを積んでいる。
 社員500名を超える企業の社長として、多忙な日々を送る横田さんは、「オンとオフのスイッチが大事。レースというオフがあるから仕事も全力で頑張れるんです」とにこやかに話す。


比類なき熱心な活動を
展開する
「父母の会」をけん引

吉田 健一郎(18期生)
(株)ヨシダ 代表取締役
父母の会会長

 多くの私立校が定員割れに泣くなか、農大二高は関係者がうらやむほど人気が高い。その理由を父母の会の吉田会長は、「文武両道の精神が学生に浸透していて、ラグビー部、陸上部、野球部、ソフトテニス部、吹奏楽部などが高い実績を残しているほか、帰宅部的なものがなく、生徒たちが日々、自己鍛錬に励んでいます」と話す。
 生徒たちは、おおらかで明るく、節度のある楽しい学園生活を送っているが、その背景には、他校に抜きん出た父母の会(会員数約2,000名)の活発な日常活動によって、長年にわたり培われてきた学校と家庭との綿密な連携と協力関係がある。
 特に、「父母の会研究大会」の“共に育つ”という熱意ある保護者たちの取り組みからも、よりよい学校環境実現への意気込みが感じられる。
 「研究大会は、1970年に始まり今年の秋で40回を数え、様々なテーマに真剣に取り組んできました。29の支部で検討された意見を集約し、各学年別にテーマ、論点を設定し、活発な意見交換が行われています」
 父母の会は、後援会、同窓会、部活の後援会等と共に、縦横の絆となって学校をサポートし、生徒たちを見守る。
 吉田会長は、親子2代の農大二高生で、母校を思う心で、重い任を果たしている。


かつての高校生オリン
ピック選手は、指導者
として頂点を目指す

不破 弘樹(21期生)
上武大学 陸上競技部コーチ

 1984年、不破さんが3年生の時、陸上競技100mの日本代表として、ロサンゼルス五輪に出場したのは有名な話。
 中学では陸上部がなく、野球部に所属しながら、全日本中学選手権男子100mで中学新を樹立。「400mリレーがやりたくて」農大二高に入学し、名将鳥羽完司教諭のもとで才能を開花させた。
 2年生で標準記録に0.02秒と迫ったことから、オリンピック出場が現実味を帯び、調子を上げて臨んだ選考会はベストの走りで見事、出場権を獲得。しかし本番は体調不良で不本意な結果に終わった。
 その後、法政大学に進学。3年生で自己記録を更新し19年ぶりの日本新を樹立。トップの実力にも関わらず、今度こそと狙ったソウル、次いでバルセロナ五輪の出場を逃す。そして30歳で挑んだアトランタ五輪には記録が及ばず、釈然としない思いを抱え、引退した。
 不破さんは、3年前に上武大学陸上競技部のコーチに就任。昨年、男子400mリレーを全国5位に押し上げた。「指導者はあの不破だったのかと言われると、さすがに嬉しい。無名の大学は選手の獲得に苦労しますが、才能を伸ばし結果を出すのが仕事。僕の熱意を売り込みながら選手の獲得に奔走しています」と話す。
超一流のアスリートから、超一流の指導者を目指し、選手と向かい合う自分の姿を自問自答する日々である。

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